東海道53次を歩く日数と日本橋から京都まで野宿旅【体験談】

「春休みは、何すんの?暇だしなぁ~」

大学生の春休み前に、3人でファミレスで食事をしながら
何となく出た言葉です。

東海道53次を歩いて帰ろうか?

「それもいいね。」

「よしっ、歩いて帰ろう!」

そんな話でまとまったのがそもそもの始まりでした。
3人は、私が兵庫、もう二人は大阪と奈良出身でした。

なので、東京から京都まで歩いて帰ろうという話で、
一気に盛り上がり皆その気になりました。

そして、春休みに日本橋から京都までの
東海道53次の旅が始まりました。

そのその旅は毎日が映画の主人公のように
色々な出来事が毎日起こりました。

基本、テントを持って野宿をして食事もできるように
ハンゴとお米も持っての旅でした。

では、その珍道中の旅のご紹介し、
もし東海道53次を歩こうとされる人に参考になればと思います。

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東海道53次を歩くとどれくらいの日数がかかるか?

東海道53次を徒歩だけで歩くと
どれくらいの日数がかかるのか?

日本橋から京都三条大橋までの距離は、
だいたい500キロ弱ですが、毎日30キロ歩くと
17日くらいで着く計算です。

昔の人は、14日くらいで歩いたようですが、
私達は歩くだけでなく途中色々な出来事があり
結果は、20日かかりました。

真剣に歩くと1日40キロくらいは行けると思いますが、
その場合ですと13日くらいで歩けることになります。

基本的には、旧東海道を歩くことを基本にしてましたが、
厳密に歩くことにこだわっていませんでしたので、
国道1号線を歩いたり、海岸線を歩いたりしてました。

そのコースについては、平凡社の太陽コレクションの
「江戸・東海道」を参考に歩きました。

コースやその周りのことも書いてあり、
とても参考になりました。

初日のコースから藤沢までのコースもこの本をもとに歩きましたが、
もちろんスマホやネットがない時代でしたので本が頼りでした。

従って、これからのブログの記事は、
この本のコースを引用させていただいています。

実際に20日間の全コースでの
各宿泊の場所はこんな感じでした。

その日の風まかせの旅でしたが、
毎日日記を食事の時などの書いていました。

もともと建築に興味がありましたので、
特に格子建具などの建具などをスケッチもして記します。

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ただ、他の片で東海道53次を歩かれた人を
ネットで見てもまず初日でかなりのダメージが出ます。

私達も何もトレーニングせず
ただ荷物を背負って普段の状態から歩き始めました。

革靴も歩き慣れたものではなく、
上部なものを新たに買いましたので慣れてはいません。

従って、歩いてすぐにマメがつぶれてしまいましたが、
マメなんか大したことなくもっと大変なことが起きました。

それは、脚が痛いというか、筋肉が痛く
品川を過ぎて横浜に向かうに従って脚が動かなくなってしまいました。

これは想定外で、何せ準備もトレーニングもせずに望んではいますが、
これほど脚が痛くなるとは想定外でした。

大森あたりでは、もう荷物が重いのがさらに影響しているので
荷物を減らそうと郵便局で荷物を詰め自宅へ送りました。

この痛い状態は続き、
結局京都の最後まで3人の内誰かしらが
脚をびっこを引きながら歩いてました。

従って、そんなにスタスタ歩くことはできず、
大変ではありましたが、もっと大変なことも起きました。

東海道53次を日本橋から出発!でも初日からハプニング続出でした。

そう、日本橋を元気に出発して品川
過ぎるくらいまでは皆元気でした。

ただ、多摩川を渡る前には
脚のマメはつぶれていました。

そして、脚を引きずるような感じで
横浜手前の生麦を過ぎるあたりには暗くなってきました。

そして、困ったことが起き、
街の中でテントを張る場所がなかなか見つかりませんでした。

脚がとにかく痛くて、
早くテントを張って寝たい気分でしたが家ばかりで張れません。

そして、暗くなって歩いていると
境内の中に遊び場あり少しテントを晴れそうな場所がありました。

そこは幼稚園の遊ばなのですが、
ブランコやすべり台の間にもう動けないのでテントを張って
3人で倒れるように休んでいました。

そうすると、しばらくしてテントの外の人の気配がして
懐中電灯で中を照らされ若い女性が恐る恐る声をかけてきました。

「こんなところで何をしているんですか?」

「すぐにテントを畳んで出ていって下さい!」

と、強い口調で言われましたが、もう動くことができなく
自分たちが学生で春休みを利用して京都まで歩いていると
学生証を見せて訴えました。

それでもダメだと言われてましたが、
遅れて園長先生がみえ、同じように説明して
明日朝早くには出るのでとにかくここでいさせてほしいと。

そうすると、ありがたいことに
園長先生はわかっていただけ明日朝に撤去して
出ていくことを約束して寝ることができました。

初日からこんな感じですから、
これからも毎日、色々なサプライズが起きました。

東海道53次を野宿して歩くのは大変でした!

二日目もほとんど住宅街で
やはりテントを張るところがありませんでした。

そして、脚というか筋肉がかなり痛くて、
もう辞めたいくらいでしたので今日は、
お寺に泊めてもらおうかと藤沢の大きなお寺に
階段を引きずるように登って行きました。

やっとの思いで着いて、
また事情を説明して今晩泊めてほしいと
一生懸命説明しましたが朝早くに修行に参加するのであれば大丈夫と。

しかし、脚もパンパンで
そうじや修行をすることは無理でした。

と言うか、こんなに脚が痛く助けを求めているのに
本当に薄情なところだと痛感しました。

けっきょく藤沢の街の中の小さな公園を見つけ、
そこでテントを張ることにしました。

やっとテントも張れて
今夜はゆっくり寝れると思っていました。

そして、3月はまだ夜は寒いので、
昔から持っていたベンジンを燃料にしたカイロを使おうとした時です。

ちょうどベンジンをカイロに移している時に、
また懐中電灯で入り口から声がしました。

「君たちは何をしてるんだ?」

シンナー遊びなのかとも・・・

青少年の見回りの人たちで
もろ僕たちは不審者でした。

結局交番まで連れて行かれて
色々な質問を受けましたが無事解放されました。

二日目の宿泊もこのように
大変な目に会いましたがこの先も同じような事がどんどんあリました。

旅館に泊まったのは、三島と赤坂宿の大橋屋そして最後の京都に着く前の日の夜は
豪盛にお祝いをして泊まった3回くらいでした。

後は、駅の構内、橋の下、山の上、川岸など色んな所に野宿をしましたが、
警察の職務質問も多かったです。

逆に歩いていておにぎりをいただいたり
人情にもたくさん触れることができました。

結局、はんごうでお米を炊くことは一度しかなく
京都まで持ってきてしまいました(笑)

まとめ

私達の東海道53次の野宿の旅も
ほんとにたくさんの事がありましたが、
いい経験になりました。



関宿あたりで食事をしていましたら、
たまたま新聞カメラマンの方が食べていて、
何をしているか聞かれ、新聞の地方版欄に載りました。

特に今でも教訓になっていることは、
人間お腹が空くと気力もなくなり何もできなくなると。

そして、どんなに窮地になっても
何とかなると。

ほんとにいい旅でした♪

次の3泊目の記事はこちらから見れます!
→ 東海道53次を歩く!ハプニングの藤沢から感動の箱根湯本編【実録】

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