肺がん末期で脳へ転移した方必見!?症状と抗がん剤の分子標的薬で完治

当時87歳だった私の父親のことです。これまで病気ひとつもした事がない、かなり丈夫な父親でしたが秋になって何か息切れがして調子が悪いと言っていました。

原因が近くの小さい病院では分からず、総合病院で精密検査してもらったところ、肺がんである事が分かりました。それも、悪いことに脳にかなり転移していて、はっきり言って手遅れの状態でした。

11月の後半に即入院になりましたが、先生に家族が呼ばれて、遺伝子検査をしたが全部陰性で薬も投与できないし、どうしようもないと。その頃にはかなり悪化して、個室に移されいよいよ万事尽きた感じでした。

そして、それから3ヶ月後に父親は元気に退院しました。その驚異的な完治の報告を致します。

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検査で肺がんの末期で脳へ転移しているため吐き気の症状が出ていることがわかりました

脳に転移した癌がだんたんと大きくなるにつれて脳が腫れてきて、頭蓋骨に圧迫されて、動くと吐き気をともないました。

従て、最初はトイレも自分で行けてましたが、だんだん動くと気持ちが悪くなるようで、だんだん行けなくなっていきました。また、食事をするために起き上がるとやはり頭が揺れるため、気持悪くなるようでした。

トイレは、だんだん自分でできなくなり、最初は、し尿ビンに自分でやっていましたが、最後には動けなくなり自分ではできいなくなり、日中は看護師のかたが、夜は家族や私が泊まって世話をしていました。

そのため、進行していくにしたがって、なおさら脳が膨張していくため、だんだん動けなくなり、食事もできなくなっていきました。

肺がんの抗がん剤として分子標的薬をダメもとで使用しました

実は、遺伝子検査がすべて陰性だと先生にきかされて万事休すでもう何もやれることはなく、ただ父親の弱って行く姿を励ますくらいしかできないでいました。

その2週間後くらいに、先生から連絡が来あり、遺伝子検査で実は検査結果が遅れて出たものがひとつあって、それだけ陽性反応が出たけど、薬を飲ませるかとのこと。

もちろん何でもいいから飲ませてやってほしいとお願いしました。ただ、残念なから脳まで薬が届くことはなかなかないので、期待はしないでほしいとの事でした。

この頃には、父親も息も絶え絶えで、錠剤の薬を飲むのもやっとの状態でしたが、頑張って毎朝晩と根性で飲み続けました。

驚くことに肺がんがこの抗がん剤で完治しました!

すると、ここで奇跡がおきて、父親がだんだんよくなっていくではありせんか!そして、とうとう癌がほとんど消えてしまいました。

写真のように白い所が癌でしたが、細かい癌がたくさんあり放射線もできない状態でしたが、右のようにだんだん消えていって、最終的にはなくなりました。

先生も、失礼ながらあの個室から生き返って出た人ははじめてと言われました。先生もこんなに抗ガン剤が効くとは思っていなく、自分でも研究したいので体液など取らしてほしいとも。

写真の車椅子の父親は、ねじりハチマキで、退院したいモード満載でリハビリから戻ってきた所です。そうして、3月には退院して、車の更新もし、5月には田植えを私も手伝って毎年のようにやりました。

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そして、秋には稲も実り、両親と妹達と家族がまたそろって無事に稲刈りができました。

これは3年前のことですが、父親は今年90歳を無事に迎え今も元気に暮らしています。あの時に、治らなかったら今年のお盆も両親と迎えられなかったのでほんとうにありがたい事です。

私は、妻を乳がんで亡くしましたが、その時は西洋治療を反対して、東洋医学中心に当時の有名な先生を片っ端から訪ねて妻の治療をしました。ただ、今回の奇跡的な父親の回復と実際に生きている事実に、西洋医学の素晴らしいさを身をもって体験しました。

確かに抗ガン剤については、賛否両論だと思いますが、今回用いた分子標的薬は、ザーコリそしてその後にアレセンサを使用しましたが、副作用もまったくなく素晴らしい薬だと思いす。

まとめ

以上、私の父親の肺がんから脳への転移で見事に完治して退院するまのでできごとをお伝えしました。

ほんとうにうれしい事ではありますが、もちろん分子標的薬が効いたのは事実だと思いますが、それにプラスして私の父親は仕事が好きで職人気質で頑固なところがあります。

今回でも、入院がすごく嫌がって早く帰りたいばかり言っていましたが、後日談としてこんなことありました。

薬が効き出してきたころではありましたが、まだ具合はよくなく、酸素量もまだ不足していた時に、酸素マスクをしていた時がありました。

その時は9階の病室でしたが、父親は息絶え絶えに「こんな9階の高いところにいるんだから空気が薄いから酸素マスクがいるけど、自宅に帰ると平地だから早く家に帰してほしい!」と
言って、看護師さんたちを笑わせていました。

冗談もよく言う父親で看護師さんを笑わせていましたが、そうしたユーモアも後押ししたようにも思いました^^

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